手作り幽霊
蒼い記憶/緋い記憶/前世の記憶
高橋克彦

実家に帰ったら、幽霊話で盛り上がっていた。
幼なじみが遊びに来てくれて、開口一番
「トンネルの入り口に幽霊が出たってさ!」

隣町との境にある、えんえん長いトンネルは、出口にそれぞれ大きなカーブと傾斜がついていて、道を知らない観光客にはちょっと危険な道なのだ。そのうえ、トンネルのあっちとこっちでは空模様が違っていることも多く、交通事故の多発地帯なのである。いつだったかトンネルの出口に立っている電信柱に車がよじ登る格好で大破してるのを見たことがある。そのうち幽霊話が出るだろうねえなんて世間話をしていたが、ホントに出たというので大騒ぎなのだった。

夜、隣町に向かう車を呼び止める女あり。しかもその場所は死亡事故が数件発生している、問題のトンネル入り口。隣町の○○までのせてくださいという。薄気味悪さを感じつつも後部座席に女をのせて○○に向かう。女は何も語らない。○○に着いて女をおろし、ふと振り向くと既に彼女の姿はない。○○は田んぼの真ん中にまっすぐな一本道で姿を隠すようなものは何一つ無いというのに・・・

体験者が地元の小学校の先生だったので、この話は地元で信じられているようなのである。
うちの実家において学校の先生は、まだ幸せにも信頼度が高い地位にあるのだ。

幼なじみの話に、母とわたしはつい身を乗り出して聞いてしまった。嫌いじゃないのよ、こういう話。
ところがね、幼なじみの話が終わったとたん、
「でも、幽霊はトンネルのところだけじゃないからね。」
母である。勝ち誇ったような顔で宣言したのだ。
忘れていたよ。我が母親は常日頃、自分には霊感があると広言しているのだ。そしてそして、昔からものすごい負けず嫌いなのである。自分の体験談を華々しく語るのに絶好のシチュエーションを逃すわけがないのだ。まさに当人にとっては真打ち登場!気分なのである。

で、母が語りだした幽霊話とは・・・
火葬場の近く、あそこは危ない場所だよ。火葬場ができる以前からあの近辺は空気が重くて、イヤな感じが漂っていたが、今は火葬場ができて尚更だねえ。ウォーキングが日課であそこまで歩くことは良くあったんだが、今ではもう近づかぬようにしてるよ。
2年ほど前になるけど、いつものように川向こうの道を火葬場に向かって歩いていた。普段は行き交う人の全くない道の30メートル先から、こっちに向かって3人、歩いてきてな。鮎釣りの格好をしてるんだわ。ところが向こうはこちらに向かって歩き、私も3人連れに向かって歩いているのに、一向に距離が縮まらない。それに気がついたときぞっとしたねえ。目を凝らして3人の足取りを見ると、ちゃんとこちらに向かっている。気味が悪くて立ち止まった。その途端だよ。背中にドーンと重いものが乗ってきてな。押しつぶされたようになってしゃがみこんだ。ゼイゼイしながら頭をおこすと、もうその3人連れは居なかった。
背中が重くて重くて這うようにして家まで帰ってきたが、恐かったぞ。3人分に違いないから重いことといったら。いやあ恐ろしかった。家にいた父さんも私の顔色を見て仰天してたよ。真っ青で人相が変わってたらしい。それから十日くらい重いのがとれなくて身体が辛くて辛くて。後で聞いた話では火葬場の手前には、昔、釣りに来て鉄砲水に流された3人の慰霊碑が建ってるんだと。私が見たのはその3人だったんだねえ。

うそばっかり!

自称霊感老女の母は不思議体験をすると、必ず興奮して電話をよこすのだ。わたしが聞いてきた話とずいぶん違うぞ。いつの間にやら単発の不思議体験が一本の幽霊談によりあわされているのだ。

エピソード1
火葬場の近くは気持ち悪い
。それは母がウォーキングを始めたばかりの頃。12年ほど前の話。こんなのは煙の出ている煙突を見れば、なんとなく気持ちは分かる。

エピソード2
火葬場の近くで何者かに背中に乗られた話。
これは8年くらい前だったか。ウォーキングを休んでいた母がリバウンドした体重をなんとかしようと再び歩き出した頃だった。何がのったかは判別付かず。

エピソード3
3人の釣り人。

最初に聞いたときは同じ方向に歩いていたはずなのだ。ウォーキングもベテランとなり速さに自信のあった母は追い抜いてやる(ほーら負けず嫌い)とスピードアップしたのに、ちっとも追いつけずカーブを曲がったところで3人組は忽然と消えたという。ちょうど姿が見えなくなったあたりに慰霊碑があるのは本当。ただし場所は火葬場とは反対方向だ。時期はエピソード2の少し前。このことがあって、火葬場方面にウォーキングコースを切り替えたって言ってたじゃない。

母にこの点をついても、ちっとも要領を得ない。果てはお前の記憶がまちがってると怒り出すのだ。やれやれだな、もう。3つの素材が時空を超えて強固に結ばれ、新しい記憶が誕生したようなのだ。もうどうやっても切り崩せない。負けず嫌いの上に頑固。喧嘩するほどのことでも無し、本人が楽しそうなんだからいいのかなあ。すごすごと引き下がった。洋裁が得意で何でも手作りしてしまう母は、幽霊も作れるのだ。
実のところ、わたしは母の単発エピソードはちょっとだけ信じていて、結構恐かったりするのだ。なんだかわからんけど、変なことがあったというほうが、まとめられ理由付けされた幽霊談より恐いのである。シンプルイズベスト。母も単発では恐いから、まとめてすっきりさせたのかしら。それにしても魅力激減。もったいない話である。

二日後、また幼なじみとトンネル幽霊の話が話題に。彼女が新たに仕入れた情報によれば、車に乗っていたのは先生が一人だけだったという説と、二人だったと言う説。乗ってきた女は助手席に乗っただの、車を止めたら隣にいたはずの女が消えていただの、トンネルを抜けたらいなくなっていただの諸説入り交じって幾通りも出回ってるんだって。
うちの母一人の頭でも、あれだけまとまった幽霊談をひねりだすのだから、近所中の頭が集まれば百花繚乱なのだ。噂の元となった不思議体験が多彩な幽霊談に埋もれてしまうのは、実にもったいない。恐い話はあっという間に茶の間のお楽しみに変身してしまった。怖さは薄れる一方である。

実家から帰って数ヶ月、トンネル幽霊の話はどんな姿になって飛び交ってることだろう。花嫁衣装を着ていたとか、座席に血がべっとり残っていたとか、ちっとも降りてくれないとか、赤ん坊の泣き声付きだったとか、派手派手バージョンが生まれているだろうか。そこまでいくと「けっ、ウソばっかり。」の話となって、人の口は別の幽霊を探しに行くのかもしれない。


蒼い記憶
緋い記憶
前世の記憶
3冊とも高橋克彦・文芸春秋社刊

自分にとって最悪の体験は、あとあと都合良く記憶が作り替えられる。感情を置き換え、消去し、必死になって封じ込めたはずなのに、ふとしたことで舞い戻ってくる過去の自分。こんな記憶は棺桶まで持っていきたいものです。

短編集だから毎晩ちょっとずつ恐い思いができます。といいつつも徹夜して読んでしまう面白さ。人間話は幽霊話より気持ち悪いのであるよ。この小説の主人公達のように自分の胸に手を当てて、しまい込まれた記憶を辿ってみますか?