ふなふな書評その2
ボクはヒネクレ者であります。
どれぐらいのヒネクレ者かと言えば、10数年来「週刊少年ジャンプ」は読んでいないけども「週刊少年チャンピオン」は毎号かかさず立ち読みしているぐらいのヒネクレ者なのです。
だいたい、数ある小説ジャンルの中でもあえてSFを読んでいること自体がヒネクレている証拠であります。しかもボクの場合、同じSFでも、ハインラインの「夏への扉」を読んでも
「ちぇっ。都合の良い話だなぁ。」
とか思っちゃうし、同じくハインラインの「宇宙の戦士」よりはジョー・ホールドマンの「終わりなき戦い」の方がよっぽどオモシロイと思っちゃうし、「アシモフの最高傑作は?」と聞かれたら「夜来たる」でも「我はロボット」でも「ファウンデーション」でも「はだかの太陽」でもなく「永遠の終わり」と答えちゃうぐらいで、SFファンの中でもより「ヒネクレ者寄り」なのです。っていうか、のっけからわからない人には全く何やらわからない文章で申し訳無しです。
ようするに、「知る人ぞ知る」みたいなモノが好きだってことがわかって貰えればそれで良いのです。スタジオジブリで言えば、「思ひでぽろぽろ」みたいなモノです。
いや、個人的には「紅の豚」が好きだけどもって、話がどんどん脱線していくなぁ(苦笑)。
みんなが感動しているときに理屈っぽいごたくを並べたりして、
「自分は、こんなことでカンタンに感動するほど単純じゃないのさ、ふっ・・・・・」
とか思って1人で悦に入っているタイプですね。だいたい、たくさんの人が集まると、えてしてこういうヤツはいて、周りから浮いていたりするものです。
(そういえば「タイタニック」を見たときも、ディカプーが海に沈んでいく場面でみんなが泣いているときに、こっそり「もう少し端っこに寄ったら二人乗れるのに・・・・・」とか心の中でつぶやかずにはいられませんでしたねぇ。)
自分でも、もし他人だったら絶対ボクとは友達になりたくねぇなぁと思ってしまいます。そんなボクだから、「感動的な作品です!」とか評価されている作品は、どうしても敬遠してしまうのです。
なんか、いかにも「泣かしてやるぞ、泣かしてやるぞ、へへ。」という作者側の考えが見えてくるように思えて、逆に「そうカンタンに泣かされてたまるかよ、ここで泣いたら負けだよな。」と身構えてしまうわけで、なんちゅうのか、実は損な性格なのかもしれません。で、今回の書評のターゲットとなる、ジェイムス・ティプトリー・ジュニア著「たったひとつの冴えたやりかた」の話に入るのだけども、これがまた典型的な「泣かしちゃる」的作品なのです。色々な書評では「これを読んで泣かなかったら、人間ではない」などと言われています。
ってことは、ボクはこの本を読み終えた後、「人間でない」という烙印を押されるかもしれないのだな。人間でなくて大いに結構。
そうカンタンに、君たちの作戦に乗ったりはしないぞ。
今に見てろ!ってな感じで、読む前から「絶対泣いてなんかやらねぇぞ」モード全開なのです。
だいたいこの本、いきなりの少女漫画チックな表紙がいけねぇや。
本屋さんでハヤカワ書房のコーナーに置いてなかったら、「講談社エックス文庫」か「集英社コバルト文庫」かと思っちゃうじゃないか。っていうか、少女漫画家を表紙や挿し絵に起用するとは(この表紙と挿し絵を描いている川原由美子さんという方のことは良くわからないけども、少女漫画家なのでしょうなぁ)、間違えて買ってしまう女性を狙っているハヤカワ書房の魂胆が丸見えだなぁ。関係ないけども、少女漫画とSFは似合わないと思うのだ。少なくとも、少女漫画にSFを持ち込むと「ぼくの地球を守って!」になってしまう気がする。
まあ、高校の頃「星の瞳のシルエット」を読破して以来少女漫画とは接点がないから、こんなこと偉そうに書くのはどうかと思うけども。っていうか、柊あおいは偉大だけども、スタジオジブリに喰い荒らされそうで心配だなぁ。放っておくとどんどん脱線してしまうので、有無を言わさず話を戻して、ボクと「たったひとつの冴えたやりかた」の関係は、最初からかなり険悪ムードだったのでした。いや、一方的にボクの方から殻に閉じこもっていたとでも言うべきかな。
そんなわけで、自称硬派なボクは、自宅で読んでいるにも関わらず、表紙が恥ずかしいのでカバーをかけたまま、「人間であるか、そうでないか」の審判を受けるべく読み始めたのでした。
で、まず騙されていたのは、結局のところジェイムス・ティプトリー・ジュニア作品なわけで、内容が軽いわけではないってことです。っていうか、設定から思いっきり本格SFしてます。
16歳の誕生日に宇宙船を貰った主人公の少女が、ナイショで遠くまで旅をして、魔可不思議な異星人と文字通りの心の触れ合いをしてしまうって話だけども(それ以上はネタバレなので自粛なのです)、そんな「いかにもよくある話」と思ったら大間違い。
宇宙船を操縦する描写一つ取っても、カンタンに「ワープ1!エンゲージ!!」では済ましたりはしません(って、これも知らない人にはわけがわかんない表現ですな)。個人的に、宇宙モノの作品がSFなのかそうでないかの違いは、「ワープ航法」をするときにその理屈を述べてあるかどうかだと思ってるんだけども、その理論(?)でいけば、これはもう完全にSFなのです。っていうか、ステーションでチャート(宇宙の地図ですな)を購入して、その座標をコックピットで打ち込むあたりの妙なリアリティの前には、かわいらしすぎる挿し絵が逆に浮いて見えます。
騙されて買った女子中高生がどう思うのだろう?と、勝手な心配をしてしまいますね。そんなこんなで、思ったより本格SFの香りがするなぁと思いつつ、それでも
「泣いてやるもんか、泣いたら負けだぞ」
と自分に言い聞かせながら読み終わって一言。
・
・
・
・
・
・
・
・
ボクの負けでした。このまま終わったら気恥ずかしいので、ちょっとした引用をしておくことにしようかなぁ。
ちゃんとした書評っぽくなるだろうし(苦笑)。
そんなわけで、手許にあった「新・SFハンドブック」の中の盛岡浩之氏と藤崎慎吾氏の対談記事「ぼくたちは、こんなSFを読んできた」からの引用です。
そうなのです。
「この本を読んで感動した」とおおっぴらに言うのが恥ずかしいのは、みんな同じなのです。
あなたは人間ですか? 書評byふなふな動物病院院長・ふにゃおくん
ちなみに、ジェイムス・ティプトリー・ジュニアは、本名はアリス・シェルドンといいまして、実は女性なのです。
元CIAの諜報部員で、その生活に嫌気がさしたときに何となく書いたSFがヒットして、その後作家に転身したという人です。
そして、惜しむらくは1987年にピストル自殺してしまいました。
それを聞くだけでも、なかなかクセのある作品が多そうですね。どちらかというと男性的で「超絶技巧」な(そして暗い)作品が多く、本名がバレるまで、女性だとは誰も思わなかったという作家です。
どの作品も、思わず「ううむ」とうならせる仕掛けが満載なので(しかも、たいていの作品は切ない終わり方をするのです)、調子に乗って手を出すと火傷するかもしれないから気を付けて下さい。