凡に見えて非なるモノ

物書同心居眠り紋蔵」田中雅美
「この町の誰かが」ヒラリー・ウォー


ミステリが好き。子どもの頃から欠かさず読んでる、推理小説、犯罪小説、警察小説、スパイ小説。謎の中心に向かって進んでいくのはドキドキものである。このスリルとサスペンス。解決に至った時の爽快感!!ミステリ最高主人公達がまたかっこよくてね。読み終わった後は頭脳明晰になった気がしてキリキリしちゃうんである。

ところが今のミステリブーム、本屋で平積みになってるのは

殺害方法は奇抜そのもの。
犯行現場は謎だらけ。
派手な殺人、残酷な手口。
累々と続く死体の山。
細部にわたる血みどろ描写。
扇情的なタイトルに帯キャッチ。

でもさ、いろんな推理を働かせても結局、こんなに犯行がへんてこで、殺人現場に必ず置かれた女優のポートレートは、犯人がサイコパスだったからです。サイコパスだったので、全身の血を抜き取ったのです。ばらばらにしたのです。なんて言われると

考えるのがバカみたい

その上、なんだかバカにされてる気もするぞ。「FBI心理捜査官」まる写しはやめて欲しいんである。
はいはい、いっぱいひっかかりましたよ。(特にあそことあそこの出版社なんか・・・)

佐藤雅美「物書同心居眠り紋蔵」や、ヒラリー・ウォーの警察小説。若いときなら読んでも記憶に残らなかったかも。事件が起こって解決に至るまでの経緯はミステリだけど、派手なところはちっともない。事件は日常の延長上にあるのだ。

若いってそれだけで、刺激的。若いというだけで、周りの注目を集めている(ような気がする)。若いというだけで、自分は特別な存在なんだ(と思いたがる)。本を読むより自分の毎日が面白い、ぐるぐる回る。
これ以上の刺激を求めるのなら謎解きよりも、今時の平積みミステリに手が伸びちゃうかもね。日常よりも血みどろよ。

それがそれが20年もたつとですね、わたしは特別と思ってた鼻の頭もどんどん削られ、うまくいった恋愛も、うまくいかなかった恋愛もいくつかしてみて、子供を産んで、子どもとぎゃあぎゃあ叫びあい、ダンナともめたり、もめたことも忘れたり、そうやって開けてくる水平線つうのがあるのですよ。ニンゲンとケモノの間がミリ単位なら、ケモノとケダモノの間はナノ単位なのよ。ということがわかってくる。
若い頃とは感性の幅が違うんである。
(若いから感性が豊かなんてうそっぱちよ。)

体験してきた感情の幅が広いほど、読書は面白い。「かっこいい」っていっぱいあるのよ。
「居眠り紋蔵」もヒラリー・ウォーもじわりとかっこいいんである。このかっこよさがわかるなら、あなた大人よ。

昨今の流行とは逆方向にてくてく歩いて行くのである。人間とケモノとケダモノの間を行き来する人生を、静かに読むんである。このふたつを読むと、年とって良かったなあと思えてくるからね。


物書同心居眠り紋蔵
田中雅美
講談社文庫 ¥

紋蔵さん、睡眠障害があるのですよ。疲れやすいだろうに、面倒くさい頼み事をされやすいのです。イヤと言いたい、しかーし、なんだかんだのしがらみが・・・。ひとり頭を抱えているうちに勝手に問題が解決してしまったり。楽じゃあないです。

この町の誰かが
ヒラリー・ウォー:法村里絵訳
創元推理文庫 ¥640

少女が殺された。この街の誰かがしでかしたのである。(タイトルそのまんまだあ。)
探偵がやってきて推理を巡らすなんて話ではありません。ハードボイルドな展開もありません。でもねえ、これは恐かったよ。町が崩れていくのを誰も気がつかない。止められないのです。